青踏の何がすごいのか:江戸東京博物館

前回ブログにした、古代エジプト展を見に行った際セットで常設展を見てきました。

小学校の子供会の遠足以来だったのでかなり久しぶりだったのですが、思いのほか今までとは視点が変わって楽しかったです。

私が感動したのは『青踏』の原本があったことです。

その何がすごいのか、すこしお話してみますね。


そもそも『青踏』とは何なのか。

『青鞜』(せいとう)は、日本で1911年(明治44年)9月から5年間52冊発行された、女性たちによる婦人月刊誌です。

明治末期当時の日本において、『良妻賢母』こそが女性に求められる像でした。当時の治安警察法によって女性の政治活動、集会が禁止されており、もちろん選挙権もありませんでした。

そんななか、婦人問題を社会に印象付け、今風に言うと「女性をエンパワーメントした」雑誌がこの青踏です。

雑誌名『青踏』とは、「ブルーストッキング」(Bluestocking)の和訳です。

 この「ブルーストッキング」とは18世紀イギリス(第一次フェミニズムですね)の婦人グループの名称で、教養ある女性たちと選ばれた男性たちが集い、道徳の向上につながるような理性的会話を交わしていたと言われています。夫に仕え、家庭で高い道徳規範を守ことが美徳であった当時、女性はあくまで私的領域の中の存在でした。当然意見交換の手段は限られており、「ブルーストッキングズ・ソサエティ」の結成はとても画期的でした。

さて、このグループ名、なぜ青い靴下かと言いますと、男性が日中に履く靴下は黒(絹)よりも青(毛織)の靴下が好まれていた=この会が格式ばった場ではなく、もっとくだけた集いであるということを象徴していたという事だそうです。(*1)

(余談ですが、クラシックバレエも当初足を出すことがはしたないとされていた時代に白いタイツを履いて踊ったので、「はしたない、せめて履いているのが分かるように青いタイツでも履いてくれ」と言われたんだとか。白鳥の湖をみんな青いタイツで踊ったら爆笑ですね。)

 そんな青い靴下を文字って出来た雑誌、それが「青踏」です。


「文学史的にはさほどの役割は果たさなかったが、婦人問題を世に印象づけた意義は大きい」(*2)とも評価されており、日本における初期のフェミニストたちであるともいえます。


雑誌内では、男友達と出かける、酒を飲む、恋愛をする、といった当時では「新しい女性」像を提示。

貞操問題、堕胎問題、売娼制度など女性を巡る社会問題を論争しましたが、最終的には日本中のあらゆる新聞社、雑誌、男性著名人の批判とからかいの的に。「新しい女」=「ふしだらな女性」という見方がされるようになり、最終的に発禁、無期休刊し発行が終了しました。

第二派フェミニズムのバックラッシュの激しさを考えると、この反応はまあ納得できます。納得したくないですけども。


平塚らいちょうによる巻頭の辞は、あまりにも有名です。

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。

今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

これが16頁に及ぶ長い文章で、ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』からの引用や、「天才」をめぐるロダンの言葉がちりばめられ、いま世に唱えられる「女性の自由解放」を超えて、「真の自由解放」をめざすことが、高らかに宣言されて(⋆3)います。でもやっぱり最初の言葉のインパクトはすごい。

私は彼女に対して、女性運動、日本のフェミニストの先駆者としか見てなかったのですが、調べてみれば調べてみるほど、本当にかっこいい人なんです。

今でも新しい(とされる)夫婦別姓の提案、婚姻関係のない夫婦関係、好きな男の舞台に自分からバラの花束を届けるエピソードには本当に驚かされました。今やっと時代が彼女に追いついてきたのだと言えるでしょう。母性保護論争で与謝野晶子と論争、国会請願運動、女性の政談集会への参加および発起が認めさせる、消費組合運動を実践、戦後の反戦運動と精力的に活動を行った彼女。

彼女の母校である日本女子大学では「平塚らいちょう賞」を設け、「男女共同参画社会の実現および女性解放を通じた世界平和に関する研究や活動に光を当てること、ならびに若い世代に対して平塚らいてう氏の遺志を継承していくことを目的」に奨励しています。


オリンピック/パラリンピック組織委員会の森元会長が「わきまえない女」発言をしたことは、まだ記憶に新しいですね。おそらく、女性たちが本当にわきまえ続けれていれば今の日本はなかったのではないでしょうか。 わきまえなかった、五人の女性から始まった『青踏』。彼女たちの起こした行動は、当時の日本の女性の意識を確実に変え、実際に女性の政治的権利獲得に寄与しました。


そんな先駆者の女性たちが作った雑誌を、教科書の中の出来事ではなく本当のできごとだったんだと実際に見ることで感じました。ちょっと感動して胸が熱くなった一日でした。そして『青踏』についてはあまりよく知らなかったことに気づいたので、今後は平塚らいちょう以外の発起人たちについて知っていきたいなと思います。


参考

*1:フェミニズム図鑑/ハンナ・マッケン

*2:高田瑞穂「青鞜」、『新潮日本文学辞典』(1988年)中の一項、(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E9%9E%9C#cite_note-1

*3:第13回 平塚らいてう『元始、女性は太陽であった』|日本思想史の名著を読む|苅部 直|webちくま (webchikuma.jp)

平塚らいてうとはどんな人?大正時代に事実婚を選択した、時代の先端を行く女性の人生を紹介 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン (intojapanwaraku.com)

女性・平和運動のパイオニア 平塚らいてう | 時代を切り拓く卒業生 | 日本女子大学 (jwu.ac.jp)

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